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観光資源化に対する見解

はじめに

今回は、神楽文化の観光資源化に対する見解を明記しておく。

ここ最近、「観光資源化を否定してしまっては元も子もない。」「観光資源化は“悪”なのか。そのような発信は悪影響ではないか。」という大きな誤解が、多発し、問い合わせが来ているため、今一度文面化する。
まずもって観光資源化を否定したり、“悪”とするような意図をもって発信してきたつもりは一切ない。

あくまでも「昨今の偏った観光資源化の仕組みつくりや環境には多くの改善点がある」と複数回にわたり警鐘を鳴らしてきたことはあるが、観光資源化そのものを否定してはいない。

確かに昨今の問題点について、敢えて揶揄的表現を用いてきたことがあったので、それが要因なのかわからないが、なぜそのような誤解が生まれてしまうのか私には把握できない。

「堅い考え」「保守的」「偏った意見発信」などと評価していただくのは、大変光栄であるが、これまでの活動や私の発信内容を今一度きちんとご覧の上、判断し評価いただきたいものだ。

意見の対立や考え方の違いは百も承知であり、これまでも多く経験してきた。もちろん、自分自身力不足なことも痛感しているが、そんな中で様々な立場の意見を尊重しながら、活動してきており、個人の活動ではあるがこれまで多くの方の支えや拾われてこなかった大切な小さな声と共に作り上げてきた大切な時間の産物を、「悪影響ではないか」とまで言われてしまい、これまで賛同し感謝の気持ちを伝えてくださってきた方々の顔を思い出すと、さすがの私でも少し感情的になってしまう。稚拙な文章を紡いでしまっていることどうかお許しいただきたい。


目的でなく手段

さて、本題に入ろう。

今一度、大前提を押さえておくが、「神楽文化の保全・振興のために観光資源化は絶対に必要である。」というのが私の見解だ。
言うまでもないが、観光資源化は「手段」であり「目的」ではない。

神楽文化を守るためには、担い手がいること見る人がいること経済が回ることが必要である。この3観点の同時実現には、観光資源化が最も効率的で効果的な手段である。

これは神楽文化のみならず、日本各地の伝統的な産業や文化は観光資源化が急務とされており、国としても文化財保護法の改正による観光資源化推進、都道府県・市町村における観光業の強化などがまさに分かりやすい事例である。


背景

観光資源化の背景を簡単につかんでおこう。

元来、広島県の芸北神楽は農村地域の各集落で活発に継承されてきており、集落内の若年層が半自然的に活躍するようになり担い手の確保につながり、そのほかの集落の人々(氏子など)が見る人となり、需要と供給が釣り合う。また、資金援助については集落内で守る意識が高く、集落内からの個人や企業による寄付金で経済を回す仕組みがあり、神楽文化は守られてきた。

その後、近代化が進みムラ社会が崩壊したり、氏子意識が低下したりと大きく社会が変わった。少しずつ若年層も減り、人口も減少していき、担い手も見る側も減り、それに伴い、回る経済の分母も減少した。

集落や地域で守り切れなくなってきた結果、人員確保と経済効果を生み出す手段として、閉じられたコミュニティを飛び出せる観光資源化(大会運営やイベント出演など)が段々と増えていき、その仕組みに順応すれば神楽の存続ができることが神楽団間でも認知され始め、活発になってきた。

結果として、良し悪しは一度置いておいて新たな神楽の進化が加速したりしていき、芸能性に磨きがかけられ、新たな活躍の場が増えた。

つまり、社会の変化によって、神楽を取り巻く環境も変わった。そこでなるべくしてなったのが「観光資源化」である。


メリット・デメリット

当たり前ではあるが、やはり「観光資源化」にもメリット・デメリットが表裏一体となっている。

メリット①「新たな市場開発・経済活動の促進」

観光資源化によって既存の神楽ファン以外から周知されることことが見込まれる。イベント出演や観光キャンペーンにより一層露出することが増えていき、確実にそこで回る経済は活発化され、神楽というある種閉ざされたコミュニティ以上の経済効果の促進・市場開発が進む。神楽団や神楽産業に対して、資金的な還元を大きく上昇できるのである。

メリット②「神楽団体への資金的・人員的援助の推進」

やはり観光資源化においてこれまで目に触れることがなかった人にも興味を持ってもらえることが見込まれ、リピーターの増加による神楽団への金銭的援助の増加や、実際に神楽がしたいという後継者の確保につながる可能性を秘めている。

メリット③「神楽文化の発展の促進」

観光資源化によって、神楽というものが多様性をもって様々に進化してきたことは言うまでもなく、この現象について批判するつもりは一切ない。舞の技術、面の技術、衣装の技術、奏楽の技術、ありとあらゆる技術や芸能性が向上されたのは観光資源化のおかげだろう。人によってとらえ方もあるとは思うが、私は神楽の発展を大きく促進させたと認識している。

デメリット①「神楽界からの金銭流出」

メリットにおいて、観光資源化で回る金銭の量は確実に増える旨の表現をしたが、ただこの金銭が実際に神楽界で回るかは微妙なところである。逆に神楽界から流出してしまっているような気もする。実際問題、神楽団が主体となるイベントは非常に少なく、なにかしらのイベント会社やその他企業が仲介しており、当たり前であるが神楽団に入ってくる金銭(出演料、謝礼等)はかなり還元率の悪い状態になっているものもある。この解決には、やはり還元率を底上げすることも必要であるが現行の各種イベントや大会等の運営資金状況を見ると、なかなか難しいと思う。そこで、入場料等で金銭を求めるのと並行したうえで、観光資源化のなかでも「神楽団への御花(寄附金)」のような慣習があることもきちんと発信し、場合によってはイベント等で神楽団が直接頂戴できるような窓口の設置などをしてみるのもいいだろう。

デメリット②「神楽団体間の格差拡大」

観光資源化に参画するか否かによって、神楽団体間の資金や後継者の数にかなり大きな幅があり、現行の偏った観光資源化(各種イベントや大会での出演団体の固定化が分かりやすい例である。)は今後この格差を拡大するばかりであろうと推測する。
前述しているが、観光資源化は神楽文化の保全・振興を目的とする一つの手段であるため、そのあおりを受けて、神楽団体間に差を生み出したり、参画できない神楽団への援助を断ち切るような真似は決して許されてはならない。
この問題点においては、神楽協議会や新たな連携組織の設立によって神楽団の横のつながりを強化し、行政からの援助を全体に均等に得られるような仕組みつくりや観光資源化で生まれた良い効果を均等還元できるような仕組みが必要であると感じている。

デメリット③「伝統の衰退・文化的価値の低下」

現行の観光資源化は、前述したがかなり偏った活用が多くみられる。出演団体にもかなりの偏り、固定化が進んでいる。100年、200年の歴史を持つ神楽団でも、昨今名前すら知られていない団も多くあるのではないか。演目についても同様で、どう考えても旧舞の活用数は相対的に見たら少ない。確かに客受け、集客には新舞等の派手で分かりやすい神楽が好まれやすいのは十分に理解しているつもりではあるが、全国的に見れば旧舞も十分派手で物語性もあると個人的には感じている。とはいえ旧舞は解説や見方を知らなければ難しい部分もある。であれば、ほんの数分解説をして、見どころを紹介すれば、確実に観光資源として活用できるはずだ。また、神楽を知るきっかけは別になんでもいいとは思う。ただ、ある程度知ってもらった後に、旧舞を知ったり味わったりする場はかなり少ないのではないかと感じる。ここでも神楽団や演目の固定化が今の観光資源化の改善点であると痛感する。
また、上記にも関連するが旧舞の中でも「儀式舞(神祇舞)」の衰退には目を覆いたくなるものだ。芸北神楽は、初期段階の伝播の際に「神事性」はかなりそぎ落とされてきたものではあるが、とはいえ「神楽」という限りは儀礼的な舞も必要である。大会では時間制限もあり簡略化されたり、その影響で奉納神楽でさえも簡略化・省略することがある。神楽ファンはもちろんのことながら、昨今の神楽団の若年層は特にこの儀式舞に対する知識や意識がかなり低いと指摘したい。ぶっちゃけて言うと、もはや形式上だけでも構わないから儀式舞もしっかり継承してほしい。神楽の持つ「神事性」の根幹であり、神楽の原点として、軽視することなく大切に最優先に継承するべきだ。現行の観光資源化は、儀式舞という存在さえもないがしろにして、広島の神楽は派手!わかりやすい!ストーリ性豊富!と言わんばかりの情報発信をしているように感じる。


警鐘を鳴らす

簡単ではあるが、まとめさせてもらった。どこまで理解していただけるかわからないが、現在の観光資源化にも利点・欠点があることもはわかってもらえたのではないか?
観光資源化がもたらす効果は、かなり大きく、今後神楽のためにも積極的に推進されるべきであろう。ただ現在の観光資源化には多くの課題・改善点もあり、その点をどうにかしなければならないと警鐘を鳴らしてきているつもりだ。

観光資源化を否定するのではない。
現在の“偏った”観光資源化を問題視し、私なりに改善しようとしてきている。
観光資源化で変化することを否定するのではなく、その中で歴史あるものを軽視し、神楽が抱える課題に目をつぶり、「仕方がないよね…。」となあなあに見過ごしてきたことは悔い改められるべきだ。私はそのつもりで、活動している。

私自身が、知識・経験不足であることは誰よりも一番わかっている。
HP開設当初から私の活動は皆さんとともに神楽について知っていくと呼びかけてきた。これからも変わらず、ご支援そしてご鞭撻のほどお願いしたい。


おわりに

今回、メッセージを送っていただいた方々へ。
大変貴重なご意見をありがとうございました。これまでの私の発言や表現によって大きな誤解を与えてしまっていることは変えられない事実であり、反省するばかりです。今回は完全匿名ということで個別に対応や議論をさせていただくということがかなわなかったのは残念ですが、我々が愛してやまない神楽を守りたいという根幹は同じであると考えています。匿名だから批判しやすいとは思いますし、だからこそなかなか言っていただけないご指摘で私も新たに成長するチャンスを頂いたこと十分に理解し、御礼申し上げます。私の活動をご理解いただいたうえで、更なるよりよい活動のためにも何かご提案や想いなどがありましたら、ぜひまたお便りをください。誠心誠意迅速にご対応させていただきます。
この度はありがとうございました。

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