今回は、#18とびらじおで話した「六・八論」について少し書こう。
神楽の線引きと言っても、一つ押さえておきたいのはあくまでもそれぞれの神楽文化の特色や個性を守るための線引きであって、優劣をつけたり批判をするものではない。
そこは重々理解をして頂きたい。
永久不滅の「六・八論」
神楽の線引きには、多くの種類がある。
「大元神楽と石見神楽と芸北神楽」「旧舞と新舞」「六調子と八調子」「阿須那系と矢上系」まだまだ例はあるが、今回はここまでにしておこう。
いまだに決着のついていない「六・八論争」であるが、私自身明確な結論は出ていない。それはなぜか?原因は簡単だ。
難しすぎる…。
ただこの一言に尽きる。
一般的な論とすれば
六調子 | トントコ トントコ トントコ トントコ |
八調子 | トコトコ トコトコ トコトコ トコトコ |
と表現されることもあるが、果たしてどこまで通用するのか?と問われるとなかなか難しい。
簡単に時系列を整理しておくと、まず、石見・芸北の源流である「大元神楽」であるが、これは基本的には六調子の神楽とされる。様々な影響を受け、石見神楽へと新たな形態に発展していき、区別されてきたが、もちろん初期の頃は六調子しか存在しなかった。この石見神楽が活発に広島に伝播された頃(江戸後期から明治頃)、実はまだ八調子というものは生まれていなかった。今で言う浜田市発祥の八調子というものは、実はそれ以降(明治から大正にかけて)に誕生したものであった。
この点を踏まえると、旧舞=六調子という認識が生まれても仕方の無いことではあろうが、現状は違う。
それは、島根県の実情を見ると分かりやすいだろう。実際のところ「うち方は六調子の神楽をしとる」と言えども、鬼囃子などに六調子よりも八調子に捉えられてもおかしくない調子が混じっていたり、はたまた「うちは八調子の神楽なんよ」と言えども、どこか六調子の名残を拭いきれていない神楽団体は多く存在する。
つまり、より様々な影響を受け、発展していった芸北神楽を六・八調子のどちらなのか?と聞かれてもほぼ100%答えられないのである。
その点で言うと、この「六・八論争」は広島県の話というよりは、島根県の話といったほうが的確かもしれない。
調子の魅力
ここからは私の勝手な感想だが、ぜひとも読んでほしい。
昨今、神楽の楽しみ方から“奏楽”というものが薄れたような気がする。
元来、神楽は「太鼓に合わせて舞う」ものであったが、舞の技術向上などを要因として「舞に太鼓を合わせる」ことが多くなった。
もちろん、その変化に良し悪しはつけられないが、結果として奏楽の魅力が薄れたのも、また変えられない事実だ。
やはり、舞:奏楽=5:5であってほしいのが、正直なところだ。
その点においても、やはり旧舞は面白い。
調子が緩やかだからこそ、舞に重みが出る。
かすかな調子の変化があるからこそ、合戦の迫力が出る。
奏楽があってこその雰囲気や迫力が出て、舞を存分に味わえるのである。
ただ、1つ言っておきたいが、八調子のような早い調子の神楽にも魅力がある。
早い調子だからこその舞の迫力というのも捨てられないものだ。
人生で初めて、石見のいわゆる八調子神楽を見た時の興奮を私は忘れることが出来ない。これまで広島で味わったことのない衝撃だった。
本末転倒ではあるが、表現力の無い私の記事を読むよりも、ぜひとも生であの迫力を味わってほしいものだ。
魅力盛りだくさんの奏楽だが、奏楽方のレベルというものが昨今落ちてきたような気もしてしまう。
舞に合わせすぎにいってしまうからこそ、崩れたものになってきている。
バチバチと勢いよく叩くのもいいかもしれないが、それでは単にうるさいだけだ。
これでは、神楽歌も舞も死んでしまう。
太鼓は叩くものではなく、打つものだ。その点、やはり熟練の方が打つ太鼓というものは若手には決して打つことのできない響きがある。
また、競演大会の影響もあってか何でもかんでも真似をしたり、混ぜ合わせて、自分たちの太鼓を捨ててしまっているところも散見される。
なんとも、寂しいことである。
今一度、神楽ファン、神楽団員も含めて奏楽の味わいを見直すことが必要かもしれない。
関連情報
(リンク)
とびらじお#18⇒https://youtu.be/m9m9jVF1geo
石見神楽公式サイト⇒ http://iwamikagura.jp/about/
(著書)
「私の神楽談義(Ⅴ) 神楽折々」 竹内 幸夫 著